アイルランドのパブから 声の文化の現在/栩木伸明 を読んで


アイルランドに関する数多くの本を読んできましたが、少なくともアイルランドに興味があって、アイルランドに行ったことがある人が楽しく読める本として、この本は日本語で書かれた本の中ではベストの本だと思います。

音楽はもちろん、詩や遺跡など様々な文化に精通する筆者が、まるで日記のようにアイルランドでの生活を綴りながら、アイルランドに根付いた様々な声の文化を丁寧に聞いていきます。

声の文化として、詩や演劇、音楽、歌は勿論、アイリッシュシチューの作り方、パブでのラウンドの参加の仕方、アイリッシュジョーク、アイルランドの人付き合い…ここに上げても切りがないほど様々な面からアイルランドを描写しており、これ以上リアルにアイルランドの文化を、これだけ面白く書いている作品は見たことがないです。また、ところどころで挟まれる筆者の経験した事件も話を面白くしていきます。それでいてアイルランドの文化の詳細な説明につながっていくのが素晴らしいです。
また、自分が暮らしていたダブリンを中心に話が進み、街の詳細な描写を読んでいて当時を思い出して懐かしくなりました。パブに向かうときに見た、オコンネル通りからリフィー川のバーペニーブリッジの灯が目に浮かぶようだ…。

一つ一つへの感想を書いていると切りがなさそうなので、いくつか特に面白かった点についてあげておきます。

「明日の朝食がまずいものでありますように!」
これはアークロウのパブにて筆者がブレンダンに帰り際に言われた一言。一見訳がわからないですが、要は次の日二日酔いと寝不足で朝食がまずくなるくらいまで飲んで楽しめよ、ということです。
このようなアイルランド人特有の言い回しを劇などの中からも取り上げて、筆者はアイルランド人の巧みな言い回しや言葉の泉の素晴らしさについて言及しています。

また、アイルランド人の人付き合いが日本人に似ているということに関しても言及があったのは興味深いことでした。
イェス、ノーがないゲール語文化、村社会において相手との衝突を避けるアイルランドの人付き合いの例として、筆者は次のような例をあげています。
とある流浪のミュージシャンは、あまり好きではない客に誘われると、その曲は明日演奏しましょう、とか、明日うかがいましょう、と言って、その日のうちにその村を去ってしまったといいます。
このように、直接的にノーと言わず断る文化は非常に日本的です。
また、同様に、パブでのラウンド(おごりあい)の文化にも、数多くの暗黙の了解があり、それは決してマニュアルとして文字には起こされないものです。

思えば、僕もアイルランドで同じような経験をしました。
曲をリクエストされて、歌を歌おうとした際に「さっき別の人が歌ったからリールをやろう」とやんわりと断られました。つまり、歌は歌うな、てことですね。
ただ、このやんわりとした断り方が非常に日本的だったためか、僕は本当になんのショックを受けることもなく察してリールを弾いて帰りました。

逆にいえば、陰で結構色々言ってしれっとコミュニティから排他したりするので、そのへんの悪いところも日本的というか、村社会的だったりするんですけどね…(僕はそこまで厄介者扱いはされてなかったと思います。が、されてたとしても、気づけないあたり日本的ですよね)。

ごっぴ