司馬遼太郎「街道をゆくシリーズ32 愛蘭土紀行Ⅱ」を読んで

司馬遼太郎アイルランド紀行の下巻を読みました。上巻の終わりにようやくアイルランドへと上陸した司馬遼太郎一行ですが、このか
巻では西へ西へと向かいます。
個人的には、自分も行ってきたアラン島やキラーニーの情景がでてきて、非常にノスタルジーを感じました。
特に、キラーニーのレディービュー(エリザベス女王がここから景色を見たことからこの名前になったそうです)にて、"Leprechaun Crossing"(妖精横断注意)の看板を見た話には衝撃を受けました。なぜなら、私も同じ場所で同じ看板を見たからです。

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現地で撮った実際の看板です。ただ、司馬遼太郎曰く、この看板を本気にしているアイルランド人は多くはなく、観光客へのアピールの意味もあるとのことでした。

それはそうかもしれませんが、ここで疑問に思ったのは、それではアイルランド人は妖精はもう全く信じていないのか、ということです。
僕は妖精を信じるというお婆さんにも現地であったのですが、あくまで彼女の冗談だったのでしょうか。もちろんアイルランド人はジョークが大好きと言われる人々ですが、個人的には完全に冗談とは思いません。例えば、日本人で幽霊を信じてる人は少なからずいるでしょう。もちろん、そんなものは非科学的という人もいますが、数多くの伝承にもその姿は残っています。そして、アイルランド人の妖精と、日本人にとっての妖怪や幽霊はよく似ているという話もこの本では述べられています。イェイツや小泉八雲が、唯一神のいる世界ではなく、日本的なものに興味を持った(特に小泉八雲は妖怪に興味を示したそうです)のも、こうした世界観への共感が一つの理由としてあるのではないでしょうか。アイルランドの講義において、教授は妖精の世界を"Otherworld"と呼称していました。かつての人は、人の死などの理解しがたい出来事を、この異なる世界のものにあてはめて理解したそうです。そうした考え方は、日本とアイルランドでは非常に共通しているように感じます。そう考えると、皆が妖精を完全に信じておらずバカげた空想と考えているとはとても思えないのです。現に、Seamus Ennisというアイルランド音楽の収集家や、Junior Crehanという偉大な演奏家(いずれも昔の人ですが)、その他多くの人が、妖精に出会って曲を習った、なんて話を残しています。少なくとも妖精の存在は、非常にアイルランド人には身近なものであるようです。今アイルランドで最も有名なハープのプレイヤーであるLaoise Kellyは、ライブでこんな話をしていました。彼女は、とある老婆からこんな話を聞かされたそうです。

"あなたが妖精を信じるか信じないかは関係ないわ。だっているんだから。"



いずれにせよ、たった半年、されど住んでいたアイルランドの景色がまざまざと浮かび上がってくるようで、読んでいてとても懐かしくなりました。
司馬遼太郎の博識もさすがで、ときにはまった
く関係ない話も含めて、色々教えてくれます。


この巻で興味深い話をいくつか。

皆さんご存知のとおり、アイルランドの主食はじゃがいもです。これにはアイルランドの痩せた土地で栽培できるのがじゃがいもくらいしかなかったというのがあります(与太話ですが、司馬遼太郎アイルランド人は簡単に育つじゃがいもばかり育てていたから怠け者になったという小話を紹介していましたが、これはアイルランドに対するステレオタイプを助長するもので、いかがなものかと思います。こうしたステレオタイプはイギリスとの確執や、様々な紆余曲折を経て形作られたもので、人によっては不快感を示すものです。アイルランド人のドライバーに対してもステレオタイプを持ち接していたようですか、このような態度は個人的には気に食わないものでした。アイルランドには当然様々な性格の人がいましたし、その一部だけを切り取っているように思えます)。

アイルランドの土地の痩せ具合は常軌を逸していますか、特に西側は氷食のためかひどく、本当に何もない岩場か延々と広がっていたりします。
アイルランド西部のゴールウェイの沖に浮かぶアラン島などにおいては、このような信じられない逸話が残っています。

アラン島は岩しかない島で、本土から飛んできたわずかな土を拾い集めて、石で囲んでなんとか小さな庭をつくり、そこでじゃがいもを栽培した。もしくは、岩を砕いてなんとか土にした。

信じられない話ですがどうやらかつては本当にあった話のようで、島民は一日かけてわずかな土を拾い集めていたそうです。
私はアイルランド生活中に実際にアラン島に赴いたのですが、現在は観光業やアランセーターで栄えているようでした。また、島のすべてが何もない岩場、というわけでは決してありませんでした。
しかし島の西側は本当にひたすら岩場で、僕らは危うく遭難しかけてしまったほどです。その荒涼具合は、僕にこの逸話を信じさせるには十分すきるものでした(現地では結局ふしぎな犬に助けられ遭難を免れたのですが、それはまた別の記事で)。

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アラン島の写真です。

さて、このように、アイルランドの土地は痩せています。それが、アイルランドの文化の存続に一役買ったという面白い説があります。司馬遼太郎は、アスローンという町(アイルランド音楽関係者はtrip to athroneの曲でご存知かもしれません)より西の、氷食により土地が痩せているためか、クロムウェルの侵攻を免れたのではないか、というのです。
クロムウェルイングランド議会軍を率いて17世紀中盤にアイルランドに攻め込みました。その結果イギリスによるアイルランドの英国植民地化は完了されたと言われています。
しかし、そのクロムウェルすら、アスローンより西側の痩せた土地は欲しがらなかったのでは、と司馬遼太郎は言います。そして、アスローンにある城は、西側の荒れた土地と東側を分け隔てるものであったのでは、というのです。
この説が正しいものなのかは定かではありませんが、確かに今でもゲール語文化の残る地域はアイルランドの西側の荒涼とした土地です。また、アイルランド音楽で有名なクレア、ドニゴール、ケリー、すべてアイルランドの西の果てにあるのです。
そのように貧しい土地で育まれた豊かな音楽を聞きながら、僕はその美しさと深い歴史の海に思いを馳せてみまりします。

蛇足ですが、司馬遼太郎一行はパブでイーリアンパイプ(アイルランド文化遺産にも登録されているアイルランドバグパイプです)とフィドルによるアイリッシュセッションを楽しんだようですが、パイパーに曲をリクエストしたり歌いだしたりするなど、博識な彼でも、セッションの雰囲気はわかっていなかったようです。かわいそうに、実際にパイパーにも邪険に扱われたようなことが、本人の手によって書かれています。

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レディービューより眺めたアイルランドはキラーニーの山々。