下山晴彦『臨床心理アセスメント入門―臨床心理学は、どのように問題を把握するのか 』を読んで

前に河合氏の心理療法入門と、ユング心理学に関する入門書について書きました。しかし、フロイトユングを始めとした先人達の提唱した伝統的な心理療法は、特に欧米では、現在ではあまり用いられていません。


よく考えてみれば夢分析などの方法はその科学性が実証されたわけでもなければ、万人に共通して使える心理療法ではないといえます。

そこで近年よく用いられているのが、認知行動療法を始めとした、各々のクライエントの苦悩や障害に対して、科学的に実証された、適した介入を行おうと試みる「臨床心理学」です。


認知行動療法などは、統計的にその効果が実証されており、場合によれば薬物療法と同等か、それ以上の効果をもたらすことが明らかとなっています。


ただ、介入を行うには、まずクライエントの状態をよく知り、問題を特定するためのアセスメントが重要となります。この本は、そのアセスメントの定義、方法や必要性など、様々な面から述べた本です。


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まず、そもそも日本における臨床心理学の普及の遅れについて、下山氏は警鐘を鳴らしています。

「心理臨床学」という呼称によって日本において心理療法が誤って用いられた過程について揶揄的に述べる下山氏によれば、日本においては力動的心理療法が信奉されてきました。

心理的な共感、ある種の素人性を必要とするカウンセリングや、特定の学派を信奉し、私的な研究機関に属する心理療法と臨床心理学が欧米では明確に区別されているのに対し、日本では力動的精神療法による介入が一般とされて、臨床心理学の発展が遅れた、ということです。


私が興味深いと思ったのは、勿論これでは万人に効果が出ない、というだけでなく、アセスメントの可能性を限定してしまう、というデメリットに言及していた点です。

確かに特定の心理療法を是とした介入を前提としていては、アセスメントはただの「動機付け」になってしまいます。


さらに、心理療法心理的なアプローチにのみ焦点を当て、社会との関係やその生物的な前提を軽視する傾向がありました。これに対して臨床心理学は、bio-psycho-social modelという、生物、心理、社会の三つの関わり合いにより問題が発生するという理論を前提とすべきだということです。これにはとても納得がいく一方で、それらの関わりをクライエントから逐一聞き出すのは容易ではないことに気づき、臨床心理学を究めることの難しさに少し目眩がしました。


さらに、こうしたアセスメントをする際に、ある特定の基準を用いるだけでは問題を見過ごしてしまう、という点についての注意もありました。

その解決策として下山氏は、四つの基準を提示しています。


適応的基準…社会に適応できているか否かで、本人と他者によって感じ方が異なります。この基準を満たしていないからこそ問題と感じ(自他問わず)、来院する人が多いそうです。

たしかに、生物-心理-社会モデルにおいてそれら全ての結果として発現するのは行動ですし、その行動が周囲に適応出来ていないとなると、問題として認識しやすく、また実際に何らかの問題があることも多い気がします。


理念的基準…ここでら、人生においての経験の蓄積により生まれた生活的な理念による基準と、臨床心理学を用いるものがしばしば是とする理論的基準が衝突することになります。

しかし、例えば感情的に話している人に理詰めで説得をしても無理なように、その生活的な理念を共感的に理解した上での理論が必要になると考えます。


標準的基準…これは知能検査、発達検査などで得られる数値化された基準になります。しかし、もちろんこれらのデータも相対的な判断の基準になるだけで、しばしばその平均は前後しますし、数値化されない面への判断も必要になります。


病理的基準…これは通常最もクライエント達が重要視しがちな基準であると思います。医者にうつ病と診断されたいがこそ来院するクライエントが、予想外な判断をされて慄く、ということもあると聞いたことがあります。



ここで個人的な意見を述べるのですが、日本において医師の判断が絶対とされ、臨床心理学はあくまでそのサポートに徹するもの、とされてきたということがあります。

しかし下山氏も述べているように、臨床心理はそれ自体が独立し、他の専門家と協働していくことが必要になると考えます。

なぜなら、生物的に原因を特定する医学的判断では、社会や心理への思慮がなされない可能性があるからです。


元の話に戻りますが、こうした四つの基準があることを前提にするだけでも、より多くの情報を包括的かつ具体的にしいれ、中立的な視点でまとめられるでしょう。


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他にも、こうした判断をする上で大切な精神障害に関する知識や、面接をする上での段階についてなど、様々なことについて述べられていました。


正直、全体的に、特に前半に関しては生物-心理-社会理論や臨床心理学のあり方に関しては再三述べられ、少し間延びしている感が否めなかったのですが、後半は事例研究もふえ、わかりやすかったです。


ただ、初回面接の実際の様子も記して欲しかったです。面接における介入の段階の最初に、まずはクライエントとの関係性を気づくための共感的理解が必要な一方、謝ったところで共感を行うとクライエントが間違った中核的思考を強化してしまうという意味で、この面接に関しては難しさを感じたので、それに関しても事例で示してもらえるとわかりやすかったと思います。


個人的にはフロイトなどの伝統的な心理療法が信奉されるのは、その事例のドラマチックな面によるものであると思います。人の心という不可視で未知なものを、超人的な手法で直す、という面での心理学へのある種宗教的な憧れがあるのでしょう。

キリストが病人の足を直した奇跡的現象として、心理学がある種神格化されて現代まで用いられてきた、その功罪が今の日本において起きている現象であると考えます。


まあ、心理学はかつて宗教や哲学の分野が代用していたとする主張や、ユングフロイトがそれらの学問に造詣が深かったことから、それも致し方ないことかもしれません。



ごっぴ