下山晴彦編「よくわかる臨床心理学」を読んで その1

下山晴彦教授の、「よくわかる臨床心理学」を留学中に読んだので、今更ですが改めてその内容についてまとめてみました。

この本は下山晴彦教授の編ですが、その執筆には数多くの心理学関係者が携わっています。その専門分野もバラバラで、それこそ精神分析であったり、発達心理学の内容も含まれています。
また、臨床心理学の目的や実践方法を詳しく段階別に書いているのはもちろん、その歴史や背景、さらに研究法に関しても網羅しており、まさに臨床心理学を知りたい人全てに役立つ内容となっています。
公認心理師の国家資格化が心理学関係者の間では大きな関心を集めていますが、大学の各部生である私がこの資格取得を目指す場合、まず資格のための単位を学部のうちに集めることになります。
そこで興味深かったのは、研究に関する分野の必要単位数が非常に多いことです。この背景には、今まで研究の面を疎かにしてきた、もしくはそう批判されていた臨床心理学が、より研究に基づいたエビデンスベースドな臨床心理学を実践し、更にその発展に心理師が一丸となって取り組めるように、という意図があるように感じられます。なぜなら、下山教授がよく様々な本や講義で述べていることですが、APA(米国心理学会)によれば、臨床心理学は「科学、理論、実践を統合して、人間行動の適応調整や人格的成長を促進し、さらには不適応、障害、苦悩の成り立ちを研究し、問題を予測し、そして問題を軽減、解消することを目指す学問」だからです(この本の最初の一文がこの引用であることから、下山教授がこの定義を非常に重んじていることがうかがえます)。
こうした理由から、この本も、研究法に関しても網羅したものになっています。そうはいっても、あくまで入門的な内容に過ぎないので、研究法を本気で勉強したい人は、専門の本をまた別に読んだほうが良いでしょう。

ここからは、具体的な内容に関して、興味をひかれた箇所に関して、稚拙なものですが疑問点や感想を挙げさせていただきます。
長くなりそうなので、この記事では本著の前半の「臨床心理学とは何か」「問題を理解する(アセスメント)」の二つの部についての書評とさせていただきます。

@臨床心理学とは何か

・そもそも日本の臨床心理学が米国や英国と違ったのは、精神分析的な部分が強く、特定の心理学派を優先する考え方が優勢だった点で、心理療法ありきのアセスメントが横行した結果、アセスメントと心理療法が融合した、と下山教授は述べています。話を聞いてみましょう、としながら、いつの間にか心理療法が始まっている、と言った状況です。
これに関しては、私の友人が興味深いことを述べていました。
彼女はとある理由からカウンセリングを受けたのですが、話をすると、そんなの考えすぎたよ!などとカウンセラーに言われ、その短絡さに戸惑ったとのことでした。
これに関しては、そもそも心理療法ではないあまりに粗末な介入であることが問題であるように思えますが、アセスメントの途中から、ラポールの形成ができていないにも関わらず、インフォームド・コンセントすらとらずに介入に移ってしまったことも大きな問題であるように思います(診察の途中に突然注射を打ったり、やはり違うと別の薬を飲ませたりするような医者はいません。診察を終え、患者の病に対して予測がついてから治療に移るものでしょう。)特に、目に見えない心を取り扱う以上、心理学はなおさらその介入に慎重になる必要があると考えます。

・社会構成主義の立場から見た現代の臨床心理学への批判も興味深いテーマでした。社会構成主義に乗っ取ると、感情は社会的に規定されるもので自明性のあるものではないとして、異なる視点から臨床心理学を取り扱う考え方です。この考えに基づけば、そもそも言語の裏に無意識やスキーマを想定することが間違っており、言語実践自体が臨床実践なのです。ナラティブセラピーにおける無知の姿勢のようなものだと野村晴夫氏は述べています。
しかし、このような姿勢はラポールの形成の段階では有用であっても、それ以上の段階で心理療法として確立するには、少々抽象的すぎるような気もします。

・臨床心理学を考える際に、生物-心理-社会モデルが大切であることはよく述べられていますが、それぞれの分野にその専門家がいます。それぞれの専門家は、果たしてどの程度他分野についての知識を持っておくべきなのでしょうか。また、それぞれとのつながりを考慮に入れながら実践にうつったとして、それは新たなサービスの構成にはむかわず、コラボレーションとはならないように感じました。

@問題を理解する(アセスメント)

・初回面接で重要なことは情報収集、援助方針の決定、そして協働関係の形成とのことですが、これに関しては学科の友人が興味深い話をしていました。
彼女曰く、初回面接では臨床心理学的なアセスメント以上に、カウンセリング的な視点が大切ではないのかというのです。さらに言えば、最初の面接はひたすら話を聞いてもらい、その肯定をされること、つまり、質問を伴う情報収集以上に、話の受容が重要だと言うのです。たしかにその過程によって、クライエントの安心感を引き出すだけでなく、最終的にはより多く情報を話してくれるかもしれません。ラポールの形成にはやはりそうしたカウンセリング的側面が大切なように感じられます。
要は質問と共感の提示のバランスだと思うのですが、個人的にはこれにはマニュアルが必要であるように思います。もちろん人は千差万別、全員に同じ対応をするわけには行かないでしょうが、少なくとも基本的な段階でいかに相手の話に共感を示すかを皆が共有しておく必要があるように感じます。先日受けた臨床面接の授業では共感の示し方を教わったのですか、そうしたマニュアル自体はあっても、例えばこのような入門書には詳細に書かれていない事が多いので、個人的にはもっと臨床面接におけるクライエントへの接し方が早い段階で心理学を学ぶ人に示されるべきであるように感じました。

・本著で示されていたDSMによる心理機能の異常リストの一部に個人的には違和感を覚えます。特に、欲動・行動の異常に関しては、性欲の減退、性的倒錯など、果たして異常と呼んでも良いのかわからない問題もあります。もちろん、それで苦悩していたり自身や他者を傷つける可能性があるなら問題ですが、それを感じていない人や、周囲との不和など、適応的基準や価値的基準の面で異常を感じているなら、それはむしろ社会の問題であるようにも感じます。

臨床心理士薬物療法の知識が必要だと下山教授は述べていますが、それには本当に同感です。前にインテリクライエントの例について記事を書いたのですが、自身で本を読んで勉強し、セルフヘルプを試みた上で心理的な問題を抱えているクライエントに関しては、心理療法に関して批判的であったりします。勿論それは正しい方法で心理療法を実践した訳でないのですが、そうした人にも薬物療法は効果を示しますし、何より危機的状況にいるクライエントへの薬物療法の判断の必要性を、心理師は判断できなくてはいけないでしょう。
何より、私が薬物療法の重要性を感じたある人の一言があります。
彼女は、心理療法でそれを無理やり見ないようにすることはできても、不安そのものはなくせないということ、それが辛い、と話していました。
不安は人間存在の本質と言われますが、一方で薬物療法は、不安の感情そのものを生物学的面から軽減させることができます。それぞれに長所も短所もありますが、この負の感情そのものの根絶は、薬物療法の長所なのではないでしょうか(逆に、心理療法でもこうした感情を根本からなくすことができるのかどうかは気になるところです)。
さらに、勘違いされがちですが、薬物療法は一時的に効果を抑えるだけでなく、正しく服用していれば再発の防止にも役立ちます。逆に、そうした薬物療法にはない心理療法の意義とは一体何なのかをかんがえたときに、やはり最終的には、クライエント自身が心の問題に対処できる力を身につけられる、ことにつきるのかと思います。

・石丸径一郎氏の書いた性障害・性同一性障害の項目が非常にニュートラルに書かれていて、個人的にとても感動しました。

・近年の思春期の変化に関する記述は興味深いものでした。第二次反抗期が、価値基準多様化の尊重の背景から親和性の濃い養育がなされ、その結果親への対決的反抗よりも養育者との一体感からの離脱の意味合いが強くなっている、と田中志帆氏は述べています。こうした意味から従来の反抗期は消失してきていると言えます。また、思春期における心理的問題もインターネットを通じたコミュニケーションの増加により変わってきていると述べられています。
私の叔母が教師をしているのですが、最近のいじめは教室ではなくネットで行われるから発見が困難で深刻化しやすい、と話していて、現代のネット社会の弊害を感じました(勿論それ以上の恩恵があると思っていますし、無下にネットのある環境そのものを否定したいわけではありません)。

・若年性うつに関する記述などもそうですが、近年の青年に関する臨床心理学的な記述を見ていると、若者を軽く見ているように感じます。最近の若者は悩みをすぐ行動に示す、というのは否定的な見方をされがちですが、むしろ重大な問題になる前に示すことができるだけの社会が形成されたということではないでしょうか。

・中高年の自殺率の割合が日本は他の国よりも高いとのデータが示されていた一方、現代の50代は20代だった時にも自殺率が高かったというデータもあるそうです。その背景には何があるのでしょうか。思春期における社会の変化と高度経済成長の終わりなどが理由であるように思います。バブルとその崩壊の経験をぎりぎり20代後半に経験した世代がいることも関係があるのでしょうか。

・空の巣症候群や老年期のアイデンティティの喪失を防ぐための自己表現の場の重要性の話で、私事ですが自分のやっているアイルランド音楽のことを思い出しました。アイルランドでは引退後のおじいさんおばあさんが楽しそうにセッションに参加していて、音楽に限らず、こうしてお互いに表現をし、その存在を認め合えるコミュニティの大切さを学びました。

・不良文化が残る学校や地域では非行が感染的に広まるそうですが、その背景には少年少女側のギャンググループ的な価値観が共有されることがあるのでしょう。もしくは、その文化が残る地域に経済的にめぐまれていない家庭が多いことも一つの理由になり得る気がします(消して親を責めるわけではないですが、全てではなくても、やはり非行や虐待には親の経済力や支援の有無が関係していることも確かです)



全体的に、クライエントへの介入だけでなく、社会への心理教育の必要性を改めて感じました。うつ病患者へのスティグマや虐待の悪循環の話も本著の中に出ていましたが、決して悪者探しをするわけではなく、加害者になり得る側の人間への一次的予防の段階が何よりも重要であるように感じます。