漫画「惡の華」を5年ぶりに読んで
久々に惡の華を読んだ(漫画の方ね)
これから断りのない限り、惡の華、は全て押見修造作の漫画作品のことを指します。
かなり心にくるものがあったので、普段は読書記録とかしているこのブログに思いの丈を綴らせてください。
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当時俺はこの作品が大嫌いだったのですが、その理由は自分でもわかっていて、同族嫌悪でした。
アイデンティティを確立したいけれど、それを思春期なんて言葉に一言で括られるのが嫌で、俺は違うんだ、俺は違うんだ、て思い続けた日々。
こんな文章で書いてもありきたりで、あの頃の僕が、そんなじゃ全然伝わらない!!!てどこからか飛んでぶん殴ってくる気がする。
ああああこんな文章じゃやっぱり凡人のそれだよ…!!!!!
そんなエリクソンが偉そうに定義したせいで、周りのクソムシはみんなアイデンティティなんて言葉で枠にはめて知ったかぶりやがる(今や心理学の民なのでこんなこと言ったら各方面から怒られる…)
俺のこのドロドロをお前らにわかられてたまるか!!!全員肉から剥げ落ちろ!!!
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みたいな気持ちが当時何かあるたびに湧き上がってきたし、今も僕は思春期を引きずっているので、そんな気持ちになるんですね。
だから僕は色々しました。
裸で文化祭のライブで全校生徒の前でギターを破壊してみたり、歌もギターも下手くそなくせに曲を書いてみたり。
それらがクソなことは自分でもわかっていたんですね。
それでも止められなかった。何かしなきゃ僕は死ぬ僕は死ぬ。
この高潔な精神が泥にまみれてしまう…。
クソクソクソは僕
それでも僕の魂に然りと言いたかった
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そんな時に読んだ惡の華は、僕の逆鱗に触れました。
主人公の春日は、仲村さんて女の子と色々はでにやらかすんだけど、僕から見たやつらはあまりに無知で、滑稽だった。
こいつらは自分と他の奴らが本当に違うと思っている。その次の段階、自分がまた衆愚の中の一人だと気付いたあとの虚無と絶望にすら気づかず、当然その後の葛藤から生まれ出た叫びではなく、こいつらはただ幼稚に駄々をこねてるだけだ。
こいつらもしね!!しね!!!
昔の自分を見てるみたいで、そして大人から見たら僕もさらにこいつらみたにみられてるってことを突きつけられるみたいで、悔しくてたまらない!俺は誰とも違う、!!誰とも違うててててて!!!!
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てな感じで僕はこの漫画が嫌いだったんですね。
て、ことを友達に話したら、友達の一人k君が、僕にこう言ったんです。
「でも、そんなに熱くなれる作品があるってすごいよね」
僕はなんだかその言葉がとても腑に落ち、それから惡の華を読みはせずとも、すごく気になる作品になっていました。
そして、ふと今日、本棚の片隅にあるこれらに目が止まって、5年ぶりに読んでみたら、これが面白いことに、全く違って見えて来たんですね。
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当時僕は前述の理由から幼稚な奴らが幼稚なアイデンティティ喪失劇を繰り広げるこの漫画の第1部が嫌いで、ひたすら忌み嫌っていたんです。
で、なんとその気持ち自体は今も変わらないのですがww
問題は第2部に出てくる常盤さんなんですよね。
彼女はうんこ春日やクソ仲村とは違って、自分の中にある本が好き、ていう気持ちを人前で隠し、周りが望むスクールカースト上位のイケイケ女子としての道を歩み続けていたんですね。
しかしこれが、本当に本が大好きな春日と出会い、本当の自分(この表現は稚拙で嫌いだけれど)を認めてくれる春日に傾倒していくんですけど。
僕は五年前になかった、この常盤さんへのシンパシーを感じてしまったんです。
僕はずっと、常盤さんだけは思春期の葛藤の蚊帳の外にいたと思っていたんだけど、実は彼女の葛藤もまた一つの大きなテーマであったんですね。
あ〜〜そんなことすら読み取れない昔の自分まじでバカ読解力なさすぎしねよ、て思うんですが、多分読み取れない、というより、読み取らなかったのかなぁ。それほどに、僕にとって感情移入すべきはまず春日でした。
感情面では春日に同意しながら、自己投影しているのでその頭の弱さに嫌気がさしたいたわけだ。
で、当時の僕には常盤さんは物語にも出てくるように、女性性のみを売りにしたヒロインでしかなかったのかもしれない。
そうした意味で、僕は第2部の春日の域には達せてなかったのかな、と。
それはきっと、ありのままの自分を認めてもらえた経験が今までなかったからかもしれない。いや、あったかも知れないけれど、頭の悪い自分にわかる形で伝えてくれる存在がいなかった。
昔バンドの曲でこんな歌詞書きました。
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僕が死んだら代打だった
誰かがここで歌うんだ
誰が笑うこともないけど
誰が困ることもない
僕のためなら死ねるかだれか
どうせ僕らはこんなもんさ
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今でも僕が一番気に入ってる歌詞はこれで、世界で一番好きな歌詞の一つなのですが。
でも、僕は、そんな人がいないと思ってこの曲を書いたんですね。
どうせ付き合っても別れていくだけのカップル。
進学して就職したら合わなくなってしまう親友。
俺はそんなの嫌だった。
そんなの死にたくなる。
でもそんな理想の中に生きられないことも知ってた
思春期の夢は白昼夢みたいにキラキラドロドロしてて、そればかりにとらわれて僕は歌を書きました。
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多くの人がそれらから覚めていくのを見た中で、気づいてしまったんです。
惡の華のラストを、僕はずっと思春期に折り合いをつけて終わった二人の物語だと思っていたんです。
そうじゃなかった。
その夢を一緒に生きてくれる人を見つけた二人の物語なんだなぁ、と。
そう思えた時、僕はとても全能感に溢れ、体中からクソ虫が這い出ていくような思いでした。
だって、彼らの道は、今の僕と同じだからです。
だから僕は幸せです。
昔の僕は、それすらクソムシのブレインウォッシュだというかも知んないけど、少なくとも僕はあの頃まさに思い描いたような変態がパートナーとして自分の存在意義をそれ以上ないほどに認めてくれている。
だから僕は幸せです。
所詮借り物の自己と言われても、僕の認めた人が僕を認めてくれているから、だから僕は幸せなのです。
ごっぴ