C・S・ホール, V・J・ノードバイ著 ; 岸田秀訳,『ユング心理学入門』を読んで

とりあえず、九月から読んだ本に関してはこれで全部書き終えたはずです。

長かった…。


しかしこうして日を置いて改めて思い返してみると、つい数週間前に読んだ本でもかなり内容を忘れていて、改めて読了後すぐにこうした備忘録をつけておく事の大切さが身に染みてわかりました。

正直、必死に思い出したりツイッターの投稿を参考にしいしい書いているので、至らない点があったり、読んだにしては内容もかなり薄くなってしまっているのですが、次回からは多分それなりの密度になると思います(そう願っています)。


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C・S・ホール, V・J・ノードバイ著 ; 岸田秀訳,ユング心理学入門


前のブログで、河合隼雄心理療法入門に触れましたが、その関係で読んでみたくなったので、もう40年以上前の本に手を出してみました。


ユングと言う人は、いわゆる東洋的な心理療法や、オカルト的な事柄にとても興味のある人だったそうです。宗教的な儀式、交霊、錬金術占星術…などなど、多くの、心理学における未知の分野にメスを入れてきました(彼の名著の一つが『心理学と錬金術』であることがそれを端的に表しています)。


非科学的なのではなく、未科学領域に科学的に切り込んだからこそ価値がある!とこの本の筆者は文中で意気込んでいたけれど、やっぱどうしてもこうした範囲の話は科学的とは言い難い気がしてしまいました。

科学の定義の一つに「反証可能性」があると思うのですが、ユング心理学の概念は、どうしても形而上的なものになってしまいがちで、そこに十分な論拠を用意できない気がします。なので、それら未科学領域の話はもちろん、例えば集合無意識の話は、どうしても心理学というよりは哲学の領域であると感じました。

無論、かつては宗教や哲学が心理学の領域を担っていた訳で、ユングは、少なくとも素晴らしい「学者」であると感じます(蛇足ですが、本によれば、同時に彼は気さくで、語り上手であったそうです。また、何千、何万人もの精神分析を行なってきたとのことで、そのような点でやはり彼は「臨床心理士」でもあったのでしょうが)。個人的には、哲学の特定分野の延長にある本として読むととても腑に落ちる感じがしました。


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現代の臨床心理学において、どうしても伝統的な心理療法はその効果を認められず、現在では認知行動療法が主流となってきています。

そのような事実を知っているからこそ、前述のような懐疑的な態度で臨んでしまったのですが、無意識に関して指摘したり、精神分析を用いて心を科学の分野に持ち込んだ点においては、やはりフロイト同様、彼の功績は偉大であると感じます。何より、ここまで批判を続けてきましたが、その内容には、とても興味深い内容が多いのも事実です。


例えば、コンプレックス、というのはユング心理学において重要なキーワードです。現代では劣等感の代名詞的に「学歴コンプレックス」などの言葉がよく用いられますが、ユング心理学においてコンプレックスはもっと多様かつ複雑なものです(もちろん「劣等コンプレックス」もユングが指摘する代表的なコンプレックスの一ですが)。


このコンプレックスは、ユングによれば、私たちの無意識にあるとされています。私たちの抑圧された体験がコンプレックスを無意識で形成して、感情を生み出します。その理由は幼い頃の性的虐待であったり(フロイトはこれをとても重視していますね)、親からの過度な期待であったり…。そういう意味では、人間は誰しもが、コンプレックスを持っていてもおかしくないという事です。しかも、無意識にあるものなので、必ずしも認知されているとは限りません。ユングはその無意識の表出する場が「夢」であるとしたのですが、個人的にはこれも事実関係を確かめようがないので真偽の程には言及しかねます。

他にも、太古類型(この本は古い本なのでこのように表記されていましたが、「元型」という表現の方が広く用いられているようです)の話も興味深いです。

そのうち、ペルソナと影については特に腑に落ちました。

人間は皆社会に適応するために仮面(ペルソナ)を被り役割を演じなければならず、その一方で社会にそぐわないとされた感情は無意識に抑圧されていき、影を形成します。

この影は、意識の秩序の乱れに際して、無意識から突如飛び出してきたりします。

真面目に慎ましく生きなければと、過度に性欲を抑えた結果、中年になってそれが吹き出して風俗狂になっちゃった!なんていうのが一番わかりやすい例でしょうか。

(個人的には、情けないのですが、未だにコンプレックスと影の違いがわかりません。影は太古類型として定義された概念で、コンプレックスは無意識内の心的複合体だ、ということはわかるのですが…。どなたか知ってる方いらっしゃいましたら教えてください)


太古類型の話でも、一方で、例えば男性には女性的な部分(アニマ)があり、女性には男性的な部分(アニムス)があり、自分の性別の面を前に押し出す人ほど、無意識のアニマ、アニムスも大きくなっている、というような論に関しては、少し異論があります。

現代でも、例えば心理テストや血液型診断がなんとなく自分に当てはまっているような気がしてしまう「バーナム効果」があることは有名ですが、このアニマ、アニムスの理論はそれに近いものであるように思えました。

ジェンダー面での議論に持ち込むまでもなく、男性的、女性的、という二項対立的なものとして人の意識、無意識を図ってしまえるとするのはいささか暴論だと感じます(人間は当然どちらも持ち合わせている、という点では賛成しますが、わざわざそれを男性的、女性的、に分かつのは無意味な気がします)。

力強く高圧的な態度を男性的、慎ましく弱々しい態度を女性的、としている定義に関しては、他のフェミニストの人らが色々言ってくれるのではと思います(僕はそれに意見するのは面倒なのでいいです)。


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どのような学問でもそうですが、寛容な視点を持つのは、特に心理学においては大事ですね。


最後に一つ、個人的な話をすると、半年ほど前、家族の関係がうまく行ってなかった時期、なぜか夢日記をつけていた経験がありました(友達から、気が狂うからやめろ、と言われたりしましたが、かつてはかの著名な明恵夢日記をつけていた事で有名だったり、ユングフロイトも患者に夢分析のための夢日記をつけさせたりもしていることから、必ずしも危ないと短絡的に定義するのは早計だと考え、結局今も時折つけています)。その真偽は別にして、フロイトユング夢分析に関してシンクロニシティを感じていたところ、なんとそもそもそのシンクロニシティ(共時性)の概念もユングが提唱したもので、メタ的にシンクロニシティを感じた、という一件は、自分の中でユング心理学について興味をそそられた一番の要因であったと思います。


非科学的!と批判したものの、やはり興味をそそられるのはこうした未科学領域の話だったりします。


ごっぴ