河合隼雄 『心理療法入門』を読んで

まず本に関係ない話ですが、さっきから連続で投稿をしている理由は、そもそもこのブログがこの9月くらいから読んだ本の備忘録として使うことを目的としたものだったからです。

ツイッターでこうした本に関するツイートをしていたのですが、「知識のひけらかし」みたいになって不快に思う人もいるのでは?と困ってもいました(まあ好きなこと呟けばいいはずなんですけどね本当は)。そんな時、「ブログでやったほうがいいのでは?」というありがたい助言があり、それを採用させてもらいました。

それに際して、とりあえず9月までに読んだ本をこうしてまとめておかないと、なんというか、落ち着かないのですよね…。

申し訳無いのですが、ご了承ください。

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この本は十五年前の本で、ジェンダー観や家族観に関して、なんというか少し時代遅れ感がある気がします(偉そう)。

これはユング心理学なんかを読んでもそうなのですが(むしろ河合隼雄ユング心理学に多分すぎるほどに影響を受けていることを考えると当然なのかもしれない)、女性は生まれながらに感情的なものとして一義的に判断するような表現は、現代の社会学者が見たら笑うのではないでしょうか。


心理学には無関係の内容への批判から入ってしまいましたが、内容は目を開かされるものばかりで、特に生涯学習の必要性の理由として、社会の成長を図であげてたのがわかりやすかったです。

例えばaという子供が、その社会で必要とされる事柄を学習して成長し、bというレベルになったとします。この時点での社会ではこれを大人になったとみなしますが、社会も同時に成長していきます。bがその後成長をしなければ、将来的に成長した社会において子供のレベルに逆戻りしてしまうという指摘です。

ある層の大人たちは、この論で言えば成長を止めて子供に戻ってしまったと言えるのでしょう。

情報化社会の中で取り残される団塊の世代の話なんかが典型例なのかなぁ、と思いましたが、もっと大きくかつ抽象的なレベルで、こうした「現代にそぐわない大人」はたくさんいるような気がします。まあ若僧がこれを言っても説得力無いのが悩ましい事なのですが。 


河合隼雄氏はユング心理学を日本に伝えたといっても過言ではないような人だということで、ユング心理学を知っている前提で説明が進んでいったのもあり、現代の認知行動療法を中心とした臨床心理学とはすこし外れるのだけれども、ユングフロイトもなんだかんだしっかり読まねばと思いました。それに精神分析夢分析、言語連想法みたいな話が今の療法に全く通じないわけじゃないですし。


他にも臨床心理士は、解釈を与え思考の流れを止めるのではなく、クライアントの思考の動きを助けていくべきだ、という内容にもとても共感しました。ユングも、例えば夢分析において、「蛇が出てきた=男根!」といったような短絡的で一義的な解釈を答えとして与えて思考の流れを止めてしまうのではなく、常にクライアントの思考を引き出せ、と話していました。夢分析と臨床心理学は非なるものかもしれないけれど、やはりクライアントとセラピストが垂直ではなく水平的に関係して、クライアントから思考を引き出すことの重要性を実感しました。


与太話ですが、educationの語源であるeducareが「外に引き出す」という意味であるという教育社会論の授業を思い出して、まさにこの療法も教育の一つの形であると感じました。

それとはまた別の授業で、ある教授が、教授が前で喋る事を全て信奉するような「先生絶対主義」に懐疑的になってもらうために、わざと教壇で嘘を教えて、後々盛大にネタバラシをする、なんて荒技をやっていました。

教える側と教えられる側の関係に格差があってはいけない、というのは、もうずっと前からの常識なのですね(現状その思想が教育現場に広く用いられているとは到底思えませんが)。

一方で、河合隼雄もこの本で述べている通り、当然教える側(と定義される側)には、相応の知識が必要とされるのも確かです。古い知識の吸収と社会の成長、変化への適応、学習はこの種の学問を学ぶものには必須であると感じた次第です(温故知新、とはよく言ったものです)。


前述の内容から繋がってくる話なのですが、一方で、この本が述べているような心理療法の裏にある価値観が、リーマンショックや震災の後、新しい、もしくはそれまで不可視化されていた社会問題が噴出してきた、それこそ劇的に変化している現代に、どの程度当てはまるかというのも疑問に感じました。

大学で、臨床心理学の教授も言っていたし、ずっとこの文で述べてきましたが、特に臨床心理学という学問が患者の現状を改善することを目的とした臨床と結びつきの強い、実践的な学問であるからこそ、生涯的な勉強は大事なんだと改めて強く感じます。


ごっぴ